私にとっての演奏とは~音楽を特別と感じた瞬間
この春分前後は、なかなか感慨深い期間でした。
大切な氣付きが起こったり、自分に関して思い違いをしていた事にも氣付かせて貰ったり、また自分の課題も浮き彫りになりました。嬉しかったり落ち込んだり、心境的には忙しい期間でした。
また、少し先のビジョンも見えました。
正確には見えたというより、前から見えていた事がより明確になり、確信を持つ事ができました。
その先のビジョンも。
今は道を敷いている最中ですが、それは自分の与えて貰った役割であるとともに、これからの自分にとっての大きな土台となると感じています。
そして、そこが確かなものとして固まってきた時、10年前から見続けてきた映像に、やっと繋がっていくのかもしれません。
外でも内でも、陰と陽がどちらも同じ位起こって、春分翌日の今日は、その余波の中で過ごしていました。
ところで、最近になって『演奏』というものがどういうものなのか、やっと解り始めました。
えっ⁈一体何年奏でてきたの?と思われるかもしれませんが…(笑)
でも、今まで、何故私は演奏したいのか、理由がわからなかったのです。
只々「したい」という直感的な想い
それに従ってやってきた。
もちろん、「楽しい」からというのはあります。
私にとって、演奏は魂の悦び、というのも。
それは確かなこと。
特に波長の合う音の人と奏でる時はハートに火がともる。
その瞬間がたまらない。
音が混じり合う心地良さと、恍惚にも似た幸せ感。
それは適当に奏でても調和する楽器より、ちゃんと「音楽」として意識されて奏でられるハーモニーに感じます。
でも、それ以上、いや、それより深いところはわかっていなかったのです。
まだまだ浅かったのです。
今月に入って、『音楽』というものの深さ、大きさを
ライブ、演奏会、コンサートというのは『特別』なのだという事を感じる事が幾つかありました。
響き合う事の豊かさ
奏でる側と、聴いて見てくれる人達との共有。
響きも場も…。
語彙の少ない自分には、なかなか言葉では表現できない部分です。
ここに来てようやく、その深淵へと辿り着いたのでしょう。
(ちなみに「音浴会」の事ではないです。「演奏」には、癒しや浄化、音で調える以上のものがあると感じます)
でもまだ、ほんの入口に立ったばかりです。
私自身はまだまだつたなくて、その深さ大きさを表せずにいます。
それでも、喜びと、時には苦しみ(魂的にはこれも喜びですが)も伴いながら
それらと共に、前へ進んでいきます。
演奏する事は、私にとっては人生そのものと同じなのかもしれません。