日々のできごと

自然を感じて生きる。ハートに意識を据えて、安心と循環の中で生きる。

今日から7月。早いもので2021年も後半に入りました。
前日の夏越の大祓の日に、大神神社へ詣でました。

着いた途端、雨が降ったり止んだりして、拝殿では結構な雨が。でもちょうど屋根があったので詣でながら雨宿りして、少しすると止んだので、摂社へお詣り。

深緑やお社の氣配を独り静かに感じながら、、お詣りはひとり静かにするのが好きです。沢山のものを受け取れるから。

なかなか返しに行けなかった絵馬や御守りなどを古札納めに納めて、今年前半の棚卸しをする様な氣持ちで詣でる事ができました。

6月に入り、自分の生きるフェーズが少し変わったと感じます。8年前から心の中に抱えていた大切なものを4~5月にかけて降ろし、それによって感じるところが変わっていきました。
大切なものが終わっていく・・自分の中で何かが崩れた様な衝撃だったけれど、嫌な感じはなく、「ああ これからさらに、自分の真実へ進んでいくのだ」と感じていました。

その「大切なもの」が崩れ去った後、心の中にはしばしの間、大きな空洞ができました。

ぽっかりと空いて、自分の中には何もない。でも、虚しいのとは違います。只々、真空。本当に何も無い。

さて。これからどうしようと思った時、、浮かんだのは緑でした。

木々や森の緑。

そして星空。

かつて私を目覚めさせてくれた、これらの存在をより一層感じる事。共にいる事。

今までは、繋がっている様でも、本当には繋がれていなかったと思います。
星を眺めていた子供の頃や、木々に意識を向けていた20代の頃と比べると。

都会からこの奈良へ越しただけでも、星や緑とは共にある感覚は無意識にはあるのでしょうが、同時に、私はずっと忙しかった。本当の意味で落ち着いてこれらのものと繋がりを持つ時間も体力も無さすぎて、いつもぎりぎりのところで補給する様な状況でした。

もっと日常の中で自然を感じていたい筈なのに。特に開業してからのここ数年は、それがままならなかったのが事実で、理想と現実のギャップを感じられずにいられませんでした。忙しいのは充実している証拠でもあるのですけどね。体を酷使していたし時間も足りないと感じていたし、どこかしんどさを抱えていたのは事実でした。

もっとゆったりとしたペースで生きたいのに。日常の中で、もっと自然を感じていきたいのに。一体何をどうしたら良いのか?色んな要因があり、立ち止まる事ができない。当時は答えが出ませんでした。今できる事を精一杯するしかなくて。

はっきりと様子が変わったのは昨年からかもしれません。そして秋に淡路島へ行った時、沼島で見た水平線。あの時、ハートの内にある、何にも囚われない本来の感覚をしかと覚え、日常の中でも常にそこにフォーカスしたいと・・自分のハートの感覚を中心に据えて生きたいと確かに感じたのでした。思えば、そこから始まっていたのですね。

そして5月末の鬼塚さんとの演奏会を開いたひととき。鬼塚さんの波動をじかに感じて、ずっと触れたかった森や緑が私の中へ戻って来ました。

6月に入ってから、今までより緑を意識する事がぐんと増えた様に感じます。それだけで、心が穏やかに、深く満たさるのも感じています。幸い私の住む場所はまだ手付かずの緑も沢山あるので、意識したら割と目に入るんですね。

自宅の裏山にある自然公園。歩いて1分ちょっとでこの世界です。いつもほとんど人は無く、公園とそうでないところの境目があまりわかりません。思えば贅沢な環境です。

クリスタルボウルについては、2000年6月に出逢った瞬間から「天職」と直観しましたが、それからずっと、自分の道を敷いて行くのに精一杯でした。それはとてもワクワクして楽しいものでもあったけど、自分の内的世界にはブロックがそれはそれは沢山あったものだから、同時に痛みも沢山あって。。それらを取り除きながら、ハードルをひとつずつ越えなければ進めませんでした。

それはとてもとても地道な作業で。時には時間が必要な場合もあり、本当に、亀の様に一歩一歩ゆっくりと歩む事しかできなくて。長い旅だったと感じています。ここまで来るのに人一倍かかってしまいました。

けれど、出逢ってから今までの事を、「クリスタルボウルとともに生きてきたんですね」とあるお客様に言われて、この道そのものが、自分の人生だったと氣づかせて貰いました。

出逢いからはじまり、ひたむきにやり続けたり、道草を食ったり(食いたい訳では無かったですが笑)、ゆっくりやるしかなかったり、時には覚悟を決めたり。ハードルを越えたり、ジェットコースターに乗ったり。少しずつ上る登山の様に、山あり谷ありだったけど。

これこそが、私の魂のしたかった事なんですよね。

(今、氣がついたのですが、クリスタルボウルと出逢ったのは2000年6月30日でした。記念日でした☆)

そして、これで『生きていく』という事をしたかった。現実的な意味合いも含めて。

好きな事をして、自分は満たされ、周りの人や世界は潤い、お金も循環して、この世界で生きていける。それが、今生自分の目的のひとつでした。

何年か前に、それが叶うステージへと移行したのですが、本当に「何とか」で。叶っても、自分の中にはまだ不安がいっぱいあって、信じられずにいたので、それも薄皮を剥がす様に何枚も何枚も剥がして、過去生から大きなトラウマを幾つも持ち込んでいる自分にとっては、それこそ氣の遠くなる程のクリアリングで。人間である限り、成長したいと願う魂ならばそれは限りない程に続くのだけど。

その成果もあってか、最近自分の中には、安心の感覚が広がってきています。
私のペースで生きていく。


基本はゆったり。

したい事も、力強さで行くのではなく、ふわっと軽やかに。自然体で。心地良く、穏やかに。

パワーを出す時も、力を入れるのではなくリラックスして発するイメージで。

安心の空氣の中で成される循環。その循環の一部になり、またその循環を生み出す部分である事もできる。

それが、今の私のフェーズです。

先月三男が捻挫した時、診てもらった病院の待合室にかかっていた言葉

さて、7月が始まりましたね。