クリスタルボウル

クリスタルボウルとスピリチュアル

クリスタルボウルは潜在的に多くの人の心身に必要とされていると、私は強く感じています。しかし、その神秘的な姿かたちゆえに世間一般でいう「スピリチュアル」なイメージに見られてしまう事が非常に多いです。

クリスタルボウルというと、いわゆる「スピリチュアル」と安易に呼ばれてしまう傾向には、私は正直抵抗があります。いや、実際には「スピリチュアル」という言葉そのものにではなく、簡単にそう言い放ち、表面だけで捉える人の意識や世間の風潮にどうしても違和感を覚えてしまうのです。

「スピリチュアル」は「スピリット」から成る言葉なので、魂や靈性という意味。それは自然の世界でもあり、私達人間は自然の一部なので、本来はごくごく自然な事です。

本当の意味でのスピリチュアルは、突き詰めれば詰める程、現実世界と繋がっている事に氣づきます。幻想や現実逃避では決して無く、この日常や、生きる事そのもの、私たちの住むこの世界そのもの。そしてこの世界とどう結びつくか。いう事に氣づかざるを得なくなります。

「スピリチュアルに生きる」

それは、決してふわふわした現実逃避的なものではなく、目に見えないものにまで感覚を行き渡らせ、且つ自分の心の声をしっかり聴いて従うという事。本当の意味で現実的に生きる事なのです。心の声を無視して生きるのは、自然の理に反するからです。

しかし今や「スピリチュアル」という言葉は広く知られ使われるようになった半面、この言葉の持つ極めて表面的な意味だけがひとり歩きしてしまっています。

言葉にした途端、自然でなくなる。現実世界と分断されてしまう。真実を生きる筈の事が、なぜか、現実逃避的な意味合いにとられてしまう。

問題は「スピリチュアル」という言葉に植え付けつけられた「オカルト」「胡散臭い」「現実逃避的な」というイメージ。そう解釈しようとする人々の集合意識でしょうか。テレビなどのメディアの影響もありますし、霊能を利用して我欲を満たそうとする人も残念ながらいます。(昔から霊感商法てありますね。そのネガティブな影響が人々の心に印象強くなるのでしょうね)それらを払拭する為にも、ありのままそのままを伝え続ける事は必要だと感じます。

守護靈や天使、龍などの目に見えない存在は、確かに私もいると感じます。感覚が敏感になれば、無視できない部分です。彼らは私達を導いてくれたり、助けてくれたりしますが、こういった存在を感じたり見えたりすると、見える事が凄いと思ったり、見る事や感じる事が主な目的になってしまう人が出てくる事があります。また、彼らを安易な願望実現のための道具の様に使おうとする人も見受けられます。

そこは本質ではありません。

見える事が凄いと思う人は、結局目に見えるものにこだわる事とさほど変わりなく、目に見えないものをエンターテイメントとして捉えたい氣持ちが強いのではないでしょうか。また、願いを叶えて貰おうとばかりになる事は、外側の世界に目が行き過ぎて、本当の自分の(自我を超えた)真の願いを見ようとしていないのではないでしょうか。満たされていない自分に氣づこうとしない

大切なことは、本来の自分と繋がる事です。

本当の意味で自分を満たすものは、自分の中にあります。何かを知りたい時、一番の答えは、いつもあなた自身の中にあるのです。

宇宙や神なるものは、外側にもありますが、何よりあなた自身の中に存在します。目に見えない存在はあなたを助けたり、導いてもくれますが、手綱をひくのはあなた自身です。

何かが見えたりメッセージが聞こえる事も素晴らしいですが、自分がどのように「感じている」「わかっている」のか。自身の感覚や直感、ハートで感じている事を信じて行動できるか。

クリスタルボウルを聴くと、あなた自身の思考は驚く程クリアになり、本当の心の声を見つけやすくなります。過去(過去生含む)のトラウマを癒し、滞った感情が解放されるので、精神的・靈的な成長のスピードが早いです。

すなわち、生きるのが楽になる事でもあります。

また、目に見えない存在に敬意を払い、なおかつ自分を主軸にして生きる事ができる。それは、心豊かに生きる事でもあります。

心が豊かになれば、現実面での循環も成されます。これからの時代は、目に見えるものと、目に見えないものとの融合が進むと感じています。表面ではなく、本質を伝える本当の「スピリチュアル」が多くの人に理解される事を願っています。